言論空間ぼんど

文学からプログラミングまであれこれ語る場

イスラムファンタジー、もしくはプログラミングの世界~G・ウィロー・ウィルソン『無限の書』

 ファンタジーと言えば、

中世ヨーロッパめいた剣と魔法の世界を思い浮かべると思う。

 

しかし本書は、

中世ヨーロッパではなく現代のイスラム世界

魔法ではなくプログラミングを駆使した物語なのだ。

 

SFともファンタジーともつかぬ異色の作品

『無限の書』について今日はお話ししようと思う

無限の書 (創元海外SF叢書)

無限の書 (創元海外SF叢書)

 

 

 

あらすじ

主人公のアリフは”シティ”と呼ばれるペルシャ湾沿岸の街に住む普通の青年

――というのは表の顔で、彼は裏ネットワークで幅を利かせる若きハッカーだ。

 

この街のネットワークは政府の厳重な監視下に置かれ、

少しでも不用意な発言をしたものなら収容所行きは確定なのだ。

 

アリフにはインティサルという恋人がいて、彼自身近い将来結婚を考えていた。

しかし二人の間には”身分”という越えられぬ壁が存在し、

それはインティサルも望まぬ相手との結婚話を呼び込んでしまう。

 

当然アリフも失意の中で呆然と日々を過ごすのだが、

ある日インティサルから一冊の古書が届けられた。

そこから、この本『アルフ・イェオム』を巡る数奇な冒険へと

アリフは導かれるのである。

 

イスラム圏はファンタジーだ

本書はジャンル分けに非常に困る作品であろう。

主人公がハッカーであることからサイバーパンクな展開もあり、

『アルフ・イェオム』を巡ってアラビアンナイトな異空間にも飛び込むし、

はたまた「アラブの春」を想起させる革命についても物語の核を担う。

 

しかし僕はこの作品の根底にある要素はファンタジーだと思っている。

 

とはいえ実際に中盤以降、

アリフと彼の仲間たちは”ジン”と呼ばれる精霊の世界に迷い込むのだが、

こういう”いかにも”な展開を指して、僕はファンタジーと評しているのではない。

 

どこからファンタジーなのだと言われれば、それはもう冒頭から。

イスラムの社会の描写すべてが非日常を感じさせる、いわば”ファンタジー”なのである。

 

それは例えば、市場の賑わいであったり、

人々の装い(女性が身に着けるアバヤなど)、モスクでの礼拝の習慣など。

 

イスラム圏に馴染みのない僕にとってそれは日本文化を離れた非日常。

しかし、現実に存在するイスラム文化なので、剣と魔法のファンタジーにはない、

ある種のリアル、生々しさが存在する。

そのような、手触りのあるファンタジー具合が本書最大の魅力だと思う。

 

プログラミングを駆使したSF

「あらすじ」でも紹介したが、アリフは奇書『アルフ・イェオム』を手にしたことで

現実と精霊の世界を行き来する大冒険へと突入する。

 

と、同時に彼は政府から追われる身となってしまうのだ。

それは彼の開発したあるプログラムが原因となっている。

 

恋人のインティサルとの予期せぬ離別。

その反動からアリフはネット上からインティサルのあらゆる痕跡を避けようとした。

そこで生み出されたのが「ティン・サリ」と呼ばれるプログラム。

これはインティサルが入力するあらゆる情報のパターンを学習し、

すぐさま彼女の手による入力データを識別する代物だ。

 

察しのいい人は、この「ティン・サリ」というプログラム、

おそらくディープラーニングを駆使した代物ということに気づくだろう。

 

C++を使って書かれた以外に具体的な情報はないが、

こういうシステムに詳しい人をわくわくさせる要素も十二分に用意されている。

 

他にはホフスタッターの再帰アルゴリズムなど、

知る人はにやりとできる小ネタも満載である。

 

重厚かつ軽妙な世界観

ファンタジーやSFなどに彩られた本作であるが、

当然ながらイスラム文化に関する情報も随所に織り込まれている。

 

本作の鍵を握る『アルフ・イェオム』という古書も

アラビアンナイト、すなわち『千夜一夜物語』を下地にしたものと思われる。

 

かと思えば、随所にユーモアも溢れて疲れを感じない小説だ。

(本作の小ネタの一つに、アリフを援護する”ジン”が実は誰もがよく知る

アラビアンナイトの登場人物だと明かされるのであるがそれは本書を読んでのお楽しみ)

 

最後に僕が一番気に入っている箇所を引用して終わろう。

 

それは”ジン”と呼ばれる精霊の住む世界でのこと。

アリフは現地の貨幣を持っていないから、

何かしらジンのお手伝いをしてその対価を払おうと画策する。

 

そこで現れたるは、魔人(イフリート)。

彼はアリフにある依頼をする。

<我は魔人(イフリート)だ。奥の部屋に二年になるデルのデスクトップがある。もうずっとウィルスにやられている。立ち上げると五分後にディスプレイが真っ暗になる。毎回再起動しなくてはならない>

それを受けたアリフと魔人(イフリート)のやりとりは次のように締めくくられる。

「空虚の地*1にもインターネットがあるのか」畏怖をこめてたずねた。

<従兄弟よ、われらはワイファイを使っている>

 

 

ファンタジーにしてサイバーパンクなSF味もある本作『無限の書』

是非ともご一読の程よろしくお願いします。

無限の書 (創元海外SF叢書)

無限の書 (創元海外SF叢書)

 

*1:精霊の世界のこと」